行き場のない心の苦しみを

怪我をしたとか、体の病気になったというのと違って、心が苦しいとか不調であるというのは、人にも伝えにくいし、自分自身でもそれを認めるのが難しかったりする。心の病や心の苦しみというのは、「気をしっかり持つ」といった精神論でなんとかするものではなく、誰かと一緒に考え話し合い続けるものであるといった考えはまだまだ多くの人にとっては馴染みがないものかもしれない。

とはいえ、カウンセリングという言葉を聞いたことがある人は少なくないだろう。しかし、サイコセラピー、心理療法、精神療法という言葉を聞いたことのある人はかなり限られているだろう。ましてや、サイコセラピーを受けていたり、受けたことがあったりする人はもっと少ないと思われる。もっとも、この国ではそうしたことを人に言わない傾向があるので、実際は思った以上に多いのかもしれない。

わが国でそれなりに普及しているカウンセリングは、主に来談者中心療法と言って、アメリカのロジャーズという人が創始したアプローチであり、その名前の通り、来られた方が話されたいことを話していただき、それをできるだけ傾聴するというものである。これに対して、精神分析的サイコセラピー(心理療法もしくは精神療法とも言う)は、精神分析の理論と技法に基づいたより専門的なものといえる。

視界が一変する、機会の提供

これは大抵の人は経験があることだと思われるが、心にわだかまっていること、引っかかっていることを人に話すとそれだけでなにかが見えてくることがある。さらに、話している相手が自分の気づかなかった点に気づいて、それを指摘してもらうことで視界が一気に変わることもある。

今日の発達心理学や神経科学などの科学研究は、人は母親から始まるさまざまな人との関わりの中で心を発達させることを示している。こうした考えに基づいて治療/援助方法を展開してきたのがフロイトに始まる精神分析である。赤ん坊の時に持った母親との、そして父親やきょうだいとの関わりの経験は、その後の人生の中でその人が人と関わり、自分のやり方を作り上げているときに大きな影響を持つ。

それがときに生きづらさや生きることのむなしさや苦しみにつながっている場合がある。そうした問題を解決するのもやはり人間関係であり、新しい人間関係や出会いは、過去の問題にそれまでにない形で取り組み克服できる機会となるかもしれない。サイコセラピーとは、セラピストがそのような機会を提供するものである。

訓練と実践の場、関西の地に

フロイトの創始した精神分析については、日本でも多くの著作が出版されよく知られている。しかし、精神分析的サイコセラピーを実践するには適切な訓練を受けている必要がある。わが国では、そうした訓練を行う機関はこれまでほとんどなかった。その結果、冒頭で述べたように、精神分析的サイコセラピーの恩恵を受ける人はまだまだ少ない状況にある。

精神分析的サイコセラピーインスティチュート・大阪(IPPO)は、国際的な基準に見合うような質を備えた精神分析的サイコセラピーの訓練と実践を関西の地に根付かせるために設立された。これからますます精神分析的サイコセラピーを受けられ、その恩恵を授かる人が増えることが期待される。

【通称IPPO】

Institute of Psychoanalytic Psychotherapy Osaka
直訳すると、大阪にある 精神分析的 心理療法の 研究所
その名も「精神分析的サイコセラピーインスティチュート・大阪」です。
長いですね。郵便局で申込書に記入するとき手も心も汗ばみました。
ご連絡時は、どうぞIPPOと略してください。
読み方は「イッポ」でも「アイ・ピー・ピー・オー」でも、もちろん「セイシンブンセキテキサイコセラピーインスティチュートオオサカ」でも。
はじめの一歩の重荷が一つでも少なくなりますように。
  ちなみに「―――大阪」と名乗っていますが、京都にも心理相談室があります。

IPPO事務局