あなたの心は生きていますか?

もしあなたが辛苦を抱え、辛いと感じるならばあなたの心は生きています。心が生きているがゆえに苦しいと感じることができるからです。心に痛みを感じることができなくなった時、それは心の死を意味するかもしれません。心が死んだまま日常を生きている人がいます。心を殺して、毎日をかろうじて生きているという状態があり得るわけです。心が生きていることと身体が生きていることとは、互いに密な関係にあるものの、その二つのことは異なることなのです。つまり私たちには、自分の心が死んでいることに気づかずに生きているという状態があり得ます。もしあなたが、心に痛みを感じるわけでもないのに、それでも何らかの不具合を感じるとすれば、そのことは、あなたの心の部分的な死を知らせているのかもしれません。これは比喩的に聞こえるかもしれませんが、そうではありません。心にも豊かな世界があり、身体と同じように生命があるのです。その大部分は無意識であり、普段目に見えないので、気づかれないまま、あなたを動かし続けているのかもしれません。

心の治療

精神分析的セラピーは、心の治療です。それはあなたの心の状態を知ることから始まります。いわば心の生命反応を探知して、心の生命状態を知ることから始まるわけです。生きていない部分、死にかけている部分があるなら、それはあなたの心のどこにあるのでしょうか。心の治療は、どこか被災者の救出や被災地の復興支援に似ています。実際の災害と異なるのは、心の中で見つかる死者が、治療によって蘇生が可能かもしれないということです。そういう意味では、心の中の死んだ部分は、仮死状態にあるといえるかもしれません。

夢には心の状態を描き出す力があり、それ以上に夢を見ること自体、心の再生作用の現れであるともいえます。ある青年患者は、死体安置所で自分自身の死体を発見する夢を見ました。夢に出てきた監察医は、青年の死体を指差して言います。「この死体からは血液が全て抜けてしまっている。でも、血液を再循環させる方法がある。時間をかけて丁寧に血液を戻して行けば、蘇生できるかもしれない」。失血した体に血を再循環させる治療が精神分析でした。

心の生命

では改めて、心が生きているとは何なのでしょうか。この問いに答えはあるでしょうか。この問いは、私にとって、いやおそらくは精神分析に関わる全ての人にとって、常に問われ続けている謎です。それは、生物学において、なぜ有機体が生命を得るのか、命の起源は何かという、未だ答えの発見できていない永遠の問いに似ています。未だ私はその問いに明快な答えを発見していませんが、私は自分自身が精神分析を受けたことで、少なくとも自分の心が生きているということを経験したと感じています。私を分析してくれた精神分析家の先生に発見されたことでそれは可能になりました。生きた心それ自体は知ることができないのかもしれませんが、それに「なるbecoming」ことで経験するもののようです。